このようなスローガンを掲げる企業や、これを心情としている商売人も多くいることだろう。
売り手側に立ってみれば、別にこのこと自体に否定も肯定もする気はない。
但し、買い手側が「私はお客だから神様だ!」と思うものではないことは確かだ。
大事なのは、売り手側が「なぜ、お客さんを神様に例えるのか?」という明確な理由づけ、そして、具体的に「何をするのか?」ではないだろうか。
なぜなら、これらをはっきりさせないと現場のスタッフは混乱するからだ。
まず、「お客様」。
これは、一体「誰」を指しているか?
「客」とは、広義にはすべての消費者をはじめ、自社の事業ドメインである市場とも捉えられるし、見込客、来店客、反響客、顧客、得意客も含まれる。
これらすべてを「神様」とするのか?それとも、特定の客を「神様」とするのか?
では次に、「何をするのか?」を考えてみよう。
これは本来、お客様を神様に例える「理由」から紐づけされるものである。
ただ単に、「お客さんはわが社にお金を落としてくれるから」と言った理由では、話にならない。
もっと掘り下げてみてほしい。
お金を落としてくれるには、それだけの理由がある。
例えば、神様として崇める、祀り上げるくらい、最大限の「ホスピタリティ」や「お・も・て・な・し」の精神で、言葉づかい、気づかい、接客態度など、心地よい空間をお客さんに提供する。
こう言ったことであれば、自社の姿勢そのものが他社との差別化につながり、市場競争力を高めることに繋がる。
お客さんは、そこに価値観を感じて「お金を落としてくれる」と言った具合だ。
こういった理由づけが曖昧だと、現場の営業マンやスタッフは、お客さんをまるで腫れ物にでも触るかのように、媚びた口調で、緊張感を丸出しにしながら対応している痛々しい光景を目にすることがある。
お客はお客で、何を勘違いしているのか「お客なんだから神様だぞ!偉いんだぞ!」と言わんばかりに、横柄な態度、常識外のわがまま、不条理な難くせ、マナー違反、ルール無視など平気で行う輩もいる。
これらは、お客さんを神様に例える本筋とは、明らかに逸脱しているだろう。
一方、どこかの飲食店ではないが、店主や従業員が一切の愛想を遮断し、静まり返った店内で、今度は来店客が緊張感を持ってモクモクと食事をしている光景も目にすることがある。
だからと言ってこの店がお客さんを「ないがしろ」にしているわけではないはずだ。
この店は、提供する料理本来の「味」に市場競争力を持ち、「真剣に味わってもらうこと」で顧客満足を勝ち取っているのだ。
この店のポリシーは、おそらく「うちのやり方に不満があれば、それはうちのお客さんではない」ということであり、それでも来てくれるお客さんは、うちにとっての「神様」と思っているかもしれない。
このように「お客様は神様」というのは、ビジネス理論に照らし合せて「どのように捉え、誰に、何をするのか?」から自社の市場競争力に紐づけするための表現方法と言うことだろう。




